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かもいけ歳時記

真砂在住 郁子さんの

暮らしを彩る
年中行事のすすめ〟

正月 令和5年1月

お正月には、鏡餅、おせち料理、門松をたてる…。

新しい年を迎えるという気持ちは、日本人にとって、特別な気持ちにさせてくれますよね。

一月は、正月とも呼びますが、それは「正」が年のはじめ、年の改まる意味にも由来するからだそうです。

今回は、お正月に使う野菜を取り入れた、めでたいもの尽くしの盛物にしてみました。

壁には南天にが描かれた手ぬぐい。

長板には、柑橘の“きつ”が吉につながるとして大きな「ぼんたん」吉を呼ぶものとして。

また、芽を出した紅白のカブには新芽を出して、“芽が出て”「おめでとう」の意味に。

大根やれんこん、銀杏(ぎんなん)の「ん」は運を、南天・雪うさぎを頭にのせたかわいい“うさぎの達磨(だるま)”は跳ねるほどによい年となりますようにと願いをこめて盛りました。

花器には水仙と葉ボタンで春の訪れを…活けてみました。

冬至 令和4年12月

 先月までは、例年に比べて、寒さはゆるりとやってきていると感じていたのに、12月に入り、仕事を終えて家に向かって歩いていると、もう、真っ暗です。

夏場の今頃は明るかったのに…。

いつの間にか、日の落ちるのが早くなったな…と思うと、暗闇が寒さを連れてきているような気になります。

「今年も残り少なくなったな…」と実感していらっしゃる方も多いのではないでしょうか?

 

 私が季節の行事に目を向けるようになって、暮らしの中に、これは絶対にとりいれたいと思ったものが、「冬至」でした。というのも、鹿児島では、毎年テレビで温泉♨︎に柚子が浮かんでいる映像を見て「冬至」を知るくらいで、深く意味もわからずにいました。皆様の冬至のイメージはいかがでしょうか?

 

―冬至とはー

 1年を太陽の動きに合わせて24等分した二十四節気。そのため、冬至は固定した日ではなく、毎年12月21日前後になります。そして、今年は12月22日です。
 「冬至」は、1年で一番昼間の時間が短い日です。この日を境に少しずつ日が長くなります。二十四節気は冬至を起点としていたことから「冬至正月」とも言われています。

 太陽の動きを信仰の対象や暦の基準になっていた中国や日本で取り入れられていた二十四節気では、冬至は太陽の力が一番弱まる日とされ、この日を境に陰が極まり再び陽にかえる日「一陽来復(いちようらいふく)」とも言われ、運が陽に転じる日と言われています。

 

―今回の盛物について―

 ↑かぼちゃ・柚子・小豆・丸餅・赤唐辛子・隼人瓜

 

 冬至といえば「かぼちゃ」と「柚子」はイメージしやすいかもしれませんが、「小豆」の赤い色は厄除けの意味に。「赤唐辛子」はその形に一陽来復の意味で太陽の光の意味を託し、それぞれの意味があり、冬至には外せないものと言えます。写真ではお盆の上に白餅を12個盛って、1年12か月を表現しています。左下の隼人瓜は、南のほうから春を運んでくるイメージです。写真ではわかりにくいのですが、芽をだして新しい年を迎えることを表して(新芽が出ています)おめでとうの意味をこめています。

                                  

 

 かぼちゃは、南瓜とも書きますね。カンボジアから南京の港を経て来たからなど諸説あります。“南”の文字には暖かさの思いも込められ、蔓もの野菜なので、代々の繋がりも託します。かぼちゃは、長い期間保存が可能な食材だったため、冬にも食べることができたことからかぼちゃを食べることに結びついたとも考えられているそうです。                

                              

 小豆は、昔から効果効能が知られていて、中国では、冬至に厄払いのため小豆粥を炊いたという風習もあったようです。私は、小豆というと、おはぎとか、ぜんざいなど甘い味にすることが多いのですが、冬至の日は、かぼちゃと小豆を煮物にした「かぼちゃのいとこ煮」にして食べられる家もあるそうです。皆様のお宅ではいかがですか? 

 

 今年の冬至はご紹介した盛物のようにお餅までなくても、かぼちゃと柚子と小豆、唐辛子この4つだけでもお皿やお盆に盛ってみるとか、かぼちゃのお料理を食べてみる。柚子湯で身体を温める。何かひとつでもぜひ、とりいれてみてはいかがでしょうか? 

七五三 令和4年11月

写真 七五三の帯・抱え帯・筥迫・末広・千歳飴・榊/麻紐・柿(嘉来よろこびきたるの意味)


11月15日は「七五三」です。

最近は、この日に限らずにお祝いをする方も多いそうです。

私は、3歳の頃に着物を着て、祝ってもらっていたことは写真に残っているものの、覚えていません。ですが、弟の七五三の時に、袴姿で父の帰りを待ちくたびれていた弟の様子と、夕方遅く、照国神社にお参りして、なぜか、暗い中、家族写真を撮ったことを鮮明に覚えています。

どちらかというと、私たちの頃は「七草祝い」の方が盛んだった印象がありますが、皆様はいかがでしょうか? 


七五三は、公家や武家で行われていた儀式が由来とされています。

【三歳の髪置き】平安時代から続いていた儀式で、3歳になるまでは髪を剃っていたが、それ以降、剃らずにのばしはじめます。

【五歳の袴着】初めて袴をはかせる。

【七歳の帯解き】着物につけていた付け紐を外して、初めて帯を締める。

これらの儀式が明治以降一般に広がったと言われています。

この写真は、千歳飴が入っていた榮太樓總本舗の袋と一緒に盛りました。 

袋に描かれている稚児の絵は七五三を表現しています。

真ん中の鈴は、持ち手側から鈴が7つ、その上が5つ、その上が3つついています。

これは、七五三の時には、鈴の音が履物をはきませんでしたか?

鈴の音は、厄除けや邪気を祓うといわれています。さらに、子どもが成長して、こうやって神社へお参りに来られるくらいに成長しました。という意味もあわせて履物のかわりに鈴を盛ってみたてています。

私が七五三で使ったものです。千歳飴と共に盛りました。

タンスの奥に、3歳の時にきた着物と、7歳の時に締めた帯などをみつけました。
和のいろんなことを学ぶにつれ、日本人は、文様や、形、物に関して、いろんな思いを形に表現してみたり、思いを託すことを、自然に取り込んでいることが多いことに気づきます。

この、七五三の衣装にしても、着物好きだった母が、購入するときに、呉服屋さんで、柄の意味を聞いて、色をみて・・・お財布事情も含めて、いろんなことを考え、選んでくれた着物のはずです。偶然なのか、母なりに考えたのか?今では聞くこともできませんが、3歳の時の着物、7歳の時の帯の両方に鶴の模様がたくさん入っていました。

鶴は七五三や結婚式の衣装にはよく用いられる柄でもあるようです。「鶴は千年亀は万年」ということわざもありますが、「長寿」の意味や、鶴の鳴き声は声が高く神様がいる天まで届くと言われてきたこともあって「人間と神様を繋ぐ存在」「夫婦円満」の意味があるというのは、よく知られています。

両親は、子どもが鳥のようにはばたく人生をという願いをこめたのかもしれません。クリーニングもされ、丁寧にたとう紙に包まれた、小さな衣装を見つけた時に、大切に残していたことにびっくりしましたし、何より親の思いが託されていると思って見ていると、時を経たサプライズに親心が伝わってなんとも言えない気持ちが溢れました。皆様の家にも、ご自身やお子様のものがタンスにしまってあるかもしれませんね。

最近は、お祝いの日にちも、10月・11月の都合のよい日程に合わせたりするようです。また、着物の柄は古典柄とは違うものも増えて、デザインや色も様々あるようです。とはいえ、子どもの成長を願う気持ちは変わりないはず。いつもと違う衣装を着ているという気持ちは子どもながらも特別感を感じるのでしょうか?

嬉しそうなお子様の手をひいて親子で歩いている姿はとてもほほえましいものですよね。今年もまた、そんな情景に出会えたらと思っています。

十三夜 令和4年10月

今年、9月10日の十五夜はどのようにすごされましたか?

今年は、中秋の名月と満月が重なったこともあり、きれいなお月さまをご覧になった方も多かったのではないでしょうか? 昔は、小学校の校庭に相撲場がある学校が多かった気がします。私が通っていたころの鴨池小学校の校庭にもありました。十五夜には、綱引きと、相撲をした覚えがあります。男子と同じような相撲でなく、女子は片足で“けんけん相撲?”をした覚えがあります。相撲の勝敗は覚えていませんが、十五夜の行事から家に帰ってくると、縁側には、母と一緒に作ったお団子、里芋や果物などが盛られ、焼酎の一升瓶にススキがいけてありました。昭和30年~40年代の頃に出版された、鹿児島県内の行事をまとめた本などには、十五夜には、綱引きの行事が県内のいろんな場所で行われていたと書いてあります。知覧町では、今でも十五夜に行われている「ソラヨイ」という行事のことや、南薩の十五夜の写真には、木臼の上に箕をのせ、そこに升に里芋、花瓶ススキを生けてある写真が掲載されていました。東京に住む知り合いは、ススキを焼酎瓶にいけているのは、初めて聞いたと言っておりましたが、私にとっては、それが普通だと思っていました。世代の違う友人も焼酎瓶を使っていたという人が多いようでした。住んでいる土地や家によっても違いがあるのかもしれません。皆様はいかがでしたか?

どちらが正しいということでなく、私が育った地域では、とか、自分の家ではこうだったという、ものがあれば、それを伝えていくことに、意味があるのだと感じます。


【十五夜の別名は】

十五夜は旧暦の8月15日、中秋の名月とも呼ばれますね。昔は7月~9月が「秋」とされていたので、丁度真ん中の8月は「中秋」と呼ばれました。

十五夜は別名「芋名月」とも呼ばれています。皆様の家でも盛物の中に、ぶどうなどの果物以外に、里芋やさつまいもを一緒に盛る方も多いと思います。里芋は親芋からたくさんの子芋孫芋と増えていくので、子孫繁栄を願う縁起の良いものと言えます。


【十三夜について】

日本には、四季折々の自然を感じて暮らす中で、秋の実りに感謝する風習のお月見。そして、秋の澄んだ空気の中、綺麗な月を見上げて月を愛でる風習があります。
最も暮らしに根付いているのが、十五夜ですが、それ以外に「十三夜」「十日夜(とおかんや)」という行事があります。「十三夜」は、別名“豆名月”“栗名月”とも呼ばれ、旧暦の9月13日の(今年は10/8)に祝います。十五夜、または十三夜のどちらかしか観ないことを「片見月(かたみづき)」とか「片月見(かたつきみ)」といわれ、縁起が悪いと言われているそうです。

↑今年の十五夜の写真(焼酎瓶がなくて花瓶にススキを活けました。

 

“十五夜”は中国伝来の風習ですが、“十三夜”は日本で始まった風習といわれており、そのはじまりには諸説あるのですが、平安時代に醍醐天皇が月見の宴を催し、詩歌を楽しんだことからというのが定説のようです。昔は、日本人は、月の満ち欠けで月日を知り、それを農作業の目安とし生活と密接なつながりがありました。そして、月の美しさや畏敬の念は、多くの歌人にも詠まれています。今でも月は日本人の暮らしの中にあり、心のよりどころにもなっている部分があるような気がします。十五夜では月の神様に豊作を願い、十三夜は、稲作の収穫を終える地域も多いことから、秋の収穫に感謝しながら、美しい月を愛でるという風習ともいえますね。


【月の数え方は…】

旧暦は、毎月新月から数え始めるので、新月から数えて、14日目~17日目が満月です。十五夜は新月から数えて15日目なので満月、もしくは満月に近い月ということになります。今年の十五夜は、丁度満月にあたりました。十三夜は新月から数えて13日目なので、満月には少し欠ける月です。十三夜は、十五夜の次に美しいと言われています。


【お団子の盛り方について】

お団子の盛り方としては、下記の写真のように皿の上に置いていきます。十三夜の時は、一段目に9個。2段目に4個並べます。
お団子は、右側の下(手元から)から上へ置いていきます。2列め3列めも下から上に3こずつ並べます。2段めは4個、同じように下から上に2列2個ずつ並べていきます。 (十五夜の時は3段目に2個並べておきます)お団子の数は、十五夜には15個か5個、十三夜は13個か3個をお供えします十三夜のお団子の形は、真ん丸に丸めたあと掌で、ほんの少し押さえて、真ん丸にはならないようにします。

① 下から上へ


【十三夜にお供えするものは】

↑写真のお団子の上には“栗名月”にちなんで、栗の実をおいてみました。

月見団子は、お月様から見えるところもしくは、床の間にお供えを。その時は、合わせて、収穫された旬の果物や野菜をお供えし、秋の実りに感謝します。旬を迎える梨や柿と言った果物や栗名月にちなんで栗を盛るのもよいですね。因みに、写真の盛物は、いが栗(いがの中の実が3個で栗1つ分と考えます)豆名月にちなんで、なた豆・また季節の収穫物として、梨と柿を盛っています。梨の別称は“有りの実”。これは、梨の読みが「無し」の音に通じることから、対義語の「有り」という表現とします。柿は、“嘉来(よろこびきたるの意味で)”一緒に盛りました。
十五夜同様に神様の依代となる、ススキや稲穂などを添えられればこの季節の“実り”に感謝する気持ちが通じる盛物となります。

2022年の「十三夜」は10月8日(土)

 十三夜は、旧暦の日付で定められているので、毎年同じ日とは限りません2022年の十五夜は9月10日(土)、十三夜は10月8日(土)です。片月見とならないよう、両日とも、お月見を楽しんでみてはいかがでしょうか?

重陽の節供 令和4年9月

菊と秋草模様のお盆の上に、菊の花を使って“菊玉”をつくり菊形皿に盛りました。


9月9日は五節供のひとつ「重陽の節供」。「菊の節供」とも呼ばれています。

長寿や、一家の繁栄を願う中国由来の行事です。

陰陽思想では奇数は「陽の数」。

そして「九」は最高の陽数とされ、その奇数が重なる9月9日は、「陽」が重なると書いて「重陽の節供」と言われ、不老長や繁栄を願う大変おめでたい日とされています。

江戸時代には五節供のひとつに制定されたものの、桃の節供や端午の節供のように、今の私たちの暮らしに深く根付いていないのも現実で、ご存じない方も多いと思います。

 

本来「重陽の節供」が行われていた時期は、旧暦の9月です。

現在の暦でいうと10月中旬くらいです。

菊の花が咲き揃う時期ですね。

「菊の節供」と言われる所以でもあるかと思います。ですが、新暦の9月は菊が咲きそろうには少し早いですし、農耕の収穫期にあたり収穫祭に習合されたものもあり、地方によりさまざまな風習が伝えられているようです。

聞き馴染みのあるものに、長崎や唐津で行われている「おくんち」が新暦の10月に今も行われていますが、それも名残といえます。


― 菊が意味するもの ―

古来、中国では菊は不老長寿の薬としても栽培され、延寿の力があったとされてきました。菊の露を飲んで不老不死の仙人となったと言われる「菊慈童」の伝説もあります。

日本でも、菊は日本の国を象徴する花でもあり、さまざまなモチーフにもなっています。

 

←菊酒

 

 

中国由来の行事ではありますが、日本では、平安時代には菊の花を観賞しながら、お酒に菊の花を浮かべた菊酒を飲むほか「菊の被綿(きくのきせわた)」の風習が宮中行事として定着していたと言われています。

菊の被綿(きせわた)とは、9月9日の前日の晩、菊の花に真綿を被せておき、翌朝、露でしめらせた綿を使って顔や身体を拭き、長寿を願っておこなっていた行事です。

 

→菊を真綿で覆った「菊の被綿」

 

皆様にとっては、菊の花のイメージはどうでしょうか?

私は幼い頃、毎年のように祖母が「島津の殿様のところへ菊を見にいきもんそ」っと何度となくほぼ強制的に仙厳園の「菊まつり」に親戚と一緒に行った記憶があります。

私がはじめて「菊」を意識してみた時でもあります。菊人形や、大輪の菊が印象的でした。もちろん、当時の私には菊を愛でる気持ちはなかったのですが…。


→スプレー菊を普段使いの食器に

今月は「重陽の節供」という少し聞きなれない行事のことを書きましたが、今年の9月9日は、ぜひ、“菊”にまつわる食器でも、お菓子を食べてみる、1本でもよいので菊の花を飾ってみるなど、「菊」にあやかって、ご家族健康や長寿を願ってみるのはいかがでしょう。
先人が行ってきたエッセンスを少しでもとりいれることで、意味ある1日となるのではないでしょうか

お盆 令和4年8月

 コロナの感染者数が急激に増え、気になるところですが、お盆に里帰りを計画していらっしゃる方も多いと思います。鹿児島では8月13日~15日に行われ、お盆休みの所も多いですね。鹿児島は日本一お墓のお花にお金をかけるといわれています。お墓参りに行くと、お盆に限らず、きれいなお花が供えられています。


【お盆について】

 お盆はご先祖様がお戻りになるのをお迎えし、共に過ごしおもてなしをして、お見送りをする仏教の行事。
 お盆とは、盆に迎える霊への供物を盛る器に由来しているとか、「仏教盂蘭盆経」の盂蘭盆(うらぼんえ)の略ともいわれています。「盂蘭盆経」とは、かなりわかりやすく言うと、釈迦の弟子の目蓮が7月15日、修行の最終日に大勢の僧に飲食(おんじき)を供養したことで、餓鬼の世界に堕ちた母を救ったとするもので、インドから中国をへて日本へ飛鳥時代に入ってきたと言われています。
盂蘭盆:サンスクリット語のullambanaに由来し、倒懸(さかさづり)を意味しており、死者を倒懸の苦しみから救おうとする供養を盂蘭盆会とする説があります。(諸説あります)


【迎え火・送り火・精霊馬】

 私が、はじめて迎え火や送り火を意識したのは、小学生の頃でした。お隣に住むお姉さんが、8月13日の夜に、迎え火をしていて「ご先祖様が天国から帰ってくるからお家はここよと教えているの」と教わり、黙って炎をじっと一緒に見つめていた思い出があります。数分の時間でしたが、「亡くなった人が帰ってくる??それって幽霊なのかな??」でも、お姉さんは怖がっている様子もなく、何か不思議な気持ちになったけれど、家の中に何かがはいってくるのだと思っていた記憶が強く残っています。

 

↑写真の木は麻がらですが、鹿児島では松明を使いますね
写真は、ほうろく(素焼の皿)に、炎にみたてたホオズキで、迎え火の思いを玄関に盛ってみました。その横には、「精霊馬(しょうろううま)」を置きました。

 私が幼い頃には、「精霊馬」を見かけていないため、地域の方や、友人にも聞くのですが、昔はこういうことはしていなかったと聞きます。地方にもよるのかもしれませんが、関東方面では昔から「精霊馬」の風習はあったようです。これは、きゅうりとナスで馬と牛にみたてたものです。「精霊馬」とは言っても、馬だけでなく、牛も必ずセットにします。これは先祖がキュウリの馬にのって早く帰ってきて、そしてナスの牛は荷物をのせゆっくりと帰るためとも言われていて、地方によって違う解釈もあるようです。
とはいえ、迎えの日には外から帰ってくるご先祖が入ってくる玄関や窓の近くに、頭を家の内に向け、送りの日には外に向けて置きます。役目を終えた「精霊馬」は、食材としては新鮮ではなくなっていますし、ご先祖様に用いた物と考えるから食べないものだそうです。塩で清めて紙に包んで可燃ゴミとして処理をするのが望ましいと思います。◎地域の慣習や、宗教の宗派などにより、それぞれのご家庭で受け継がれているやり方があると思います。


【ご先祖様へのおもてなしの気持ちを】


 写真は床の間に季節の野菜や果物と盆花をおいたものです。亡くなった両親が好きな果物と野菜を毎年必ずおぼんに盛っていますが、この写真では、床の間に「真菰(まこも)」と言われるゴザのようなものを敷き、その上にスイカや桃、ナス、ヘチマ、サツマイモ、母の大好きなトマトを盛りました。枝付きのプチトマトは、これは蔓(つる)繋がりの気持ちを託しています。

鹿児島では、私が知る限りでは「真菰」を敷いてお供えをする習慣はないかもしれません。

 去年 たまたま、真菰についてのお話を聞くことができ、用意してみました。

 聞くところによると、昔の人は、ご先祖様は天から家に戻ってきても地に足をつけるということでなく「中空(なかぞら)」という天と地の間のいると考えられていたこと。水の表面を中空として、水草の真菰を使って、ゴザを編みそれを中空に見立て、ご先祖様がそこに戻ってくるという深い意味があるようです。


【思いを物に寄せて形に…】

↑両親が好きな夏野菜と母が使っていた数珠を添えました。

 私が、お盆になると、迎え火や盛物などをするようになったのは、両親が亡くなってからです。

 それまでは、祖母の家や親せきの家でお盆を過ごす中で、夏野菜など仏壇の前や横に台を置いてお供えしていたこと、祖母が「お肉を食べるものではない」と話していたことなど、それがどういうことなのかも深く考えたこともありませんでした。何十年も経って、お盆は、今は亡き大切な人たちが家に戻ってくるのだと考えると「お掃除をしないと怒られそう」とか、両親の好な物を買い、“お団子”は欠かせない、そう思って1年に一度、私なりに準備をしています。そうすると、何となく気持ちもすっきりします。そして、毎年仏壇の前では、なんとなく近くにいてくれるような気持ちになって話しかけてしまいます。(笑)

 お盆は、宗教の違いや、地方独特の過ごし方やしきたり、皆さまそれぞれの考えがあるので、こうするものと決められないものと思います。ただ、この期間は、先祖や、家族、友人、ご自身の中で心に浮かぶ方へ思いを形にする機会と考えれば、家に仏壇が有る無し、宗教宗派に関わらず、お部屋の一角に、思いを馳せ、故人が好きだったものや、愛用していたものなど、花や、野菜や果物と一緒に盛ってみる時間を作ってみてはいかかがでしょうか?

 目に見えるわけではないからこそ、思いを形に託して、表現するとで、ご先祖様への感謝、身近な方との繋がりや、自分自身の存在をあらためて気づかされることがあるかもしれません。 

七夕 令和4年7月

「七夕(たなばた)」は、“しちせき”とも呼ばれ五節句のひとつです。

奈良時代には、七夕行事が行われていたと言われています。江戸時代に、広く一般に拡がったといわれていますが、それ以前は宮中での行事として行われていました。
七夕と言えば、1年に一度だけ、天の川で出会える牽牛(けんぎゅう)と織女(しゅくじょ)のお話(織姫と彦星という方がわかりやすいでしょうか)はご存じの方も多いかと。

実は、日本の七夕の源流には、日本古来の「棚機女(たなばたつめ)」*1の伝承や、また、盆行事に関わる禊(みそぎ)、夏の収穫を祝う農耕儀礼ほか、中国の「星祭り」や、芸事や学問の上達を願う「乞巧奠(きこうでん)」などの行事の要素などが、様々に複合しながら各地域の「七夕」の習慣となったようです。

七夕は、旧暦の7月7日の夜のことをいいます。私が幼い頃にはひと月遅れの8月7日に行っていました。鹿児島ではそうだったようです。最近は、情報が行き交う中で、旧暦とか、地方ならではの慣習も画一化されてきているからか、鹿児島市内の店舗などでも、7月に七夕のかざりをみかけることがあります。鹿児島は、7月の上旬は、梅雨の真っ最中ですし、8月7日の方が織姫と牽牛も雨が降らない方が会いやすいのでは?なんて思ったりもします。

さて、七夕は、皆様にとってもメジャーな伝統行事ですので、何かしら思い出がある方も多いのではないかと思います。

ちなみに、私は、真砂マーケットの中にあった文房具屋さんに、「○○ざます」と話す店主のお店がありました。

そこは、七夕の前になると、様々な飾りが売り出されていて、紙で作られた茄子やきゅうり、パイナップルなどカラフルな飾りがたくさん並んでいて、母にねだったことを思い出します。

そして、幼い頃の私にとっては短冊に願い事を書くのがとっても楽しみで、願い事が多くて、母にせかされながら書いていた覚えがあります。

思えば、その頃、願ったことは全て叶うと思い込んでいる純粋な子供の頃が懐かしく感じます。


―色の意味を知って願いを書く五色の短冊― 

♪五色の短冊~ という五色とは、青(緑)、赤、黄、白、黒(紫)です。

これらの色には、陰陽五行の考えに基づいた、それぞれ意味があったことはご存じですか?

日本の伝統行事には、この5色の意味をとりいれて表現されています。

  • 青の短冊⇒自然の緑を表現している「木」
  • 赤の短冊⇒火を表現している「火」
  • 黄の短冊⇒大地を表現している「土」
  • 白の短冊⇒地中に埋まっている金属を表現している「金」
  • 黒(紫)の短冊⇒生命を育てることを表現している「水」

 


*陰陽五行説とは*

陰陽説と五行説を融合した古代中国の考え方で、陰陽説とは、自然界、宇宙に存在するもの、現象は全て「陰」と「陽」という相反するものに分けられ、あらゆる現象はこの「陰」と「陽」によって起こるという考え方です。また五行説とはこの世の自然はすべて、木・火・土・金・水の5つの元素から成り立っているという考え方。そして、この色は陰陽五行説の5つの元素の特徴をあらわしています。


さて、七夕の短冊の5色は中国の陰陽五行説に由来していることはわかりましたが、さらに五常「仁・礼・信・義・智」の考え方があります。具体的にご紹介します。

  • 青の短冊「仁」 思いやり(人間力を高める、徳を積む)

〇〇が上手くなりたい・○○ができるように頑張りたいといった自分自身の成長を願う

  • 赤の短冊「礼」 感謝(祖先や親ほかに感謝する気持ち)

家族が健康でいられますようにといった家族に関する願いごと

  • 黄の短冊「信」 誠実でうそをつかないこと(人を信じ大切に思う気持ち)

○○がみな仲良くできますようにといった仲間や人間関係の願いごと

  • 白の短「義」 私利私欲で行動しないこと(義務や決まりを守る気持ち)

今年こそ○○を達成するなど約束や決まりに関して願いを書くのがよい

  • 黒の短冊「智」 学業にはげむこと(学業の向上などを願う気持ち)

○○資格に合格できますようにといった学業に関しる願いを書くのが良い

その願いごとにあった短冊の色で願いを書くと叶いやすいとも言われています。
今まで、色を意識して願い事を書いていた方は多くはないような気がいたします。もう何年も短冊に願いを書くことをしていない…という方も、毎年書いている方も、今年は色に合わせて願いを書いてみてはいかがでしょうか?

盛物;糸巻・短冊・梶の葉にみたてた奉書・五色の筆・(夏の収穫):なす・きゅうり・枝付きとまと・生姜・グレープフルーツ

 

梶の葉は、鹿児島ではあまりみかけないのですが、平安の貴族たちは、梶の葉にねがいごとを書いていたそうです。梶の葉にかたどった奉書と短冊、五色の色が穂先にも色付けされている筆といっしょに。そして、織糸を巻いた糸巻は棚機女や織姫のみたてで。夏野菜は収穫への感謝を表し、グレープフルーツは柑橘系のかんきつ→「吉」へとみたてて、五色の色で揃えました。

 

*1:「棚機女(たなばたつめ)」
日本には、昔から旧暦7月7日に、人里離れた水辺の小屋に、機織りをする乙女がこもって、神様へ供える為に布をおりました。その布を7月7日夕刻に神棚にお供えしていました。ここでは、神様をむかえてまつり、送る日には人々の穢れを神様に託して、穢れを持ち去ってもらう祓の行事が行われていました。棚機とは棚の構えのある機(はた)のことで、その機で布を織る女性を棚機女(たなばたつめ)と言いました。このことから、お盆に祖先の霊を迎える前の禊の行事だったことにもよります。

嘉祥菓子 令和4年6月

【嘉祥菓子って何だろう?】

と思われる方も多いのでは?と思います。

この行事は「桃の節句」「端午の節句」「七夕」などのようなメジャーな行事といえるほど暮らしの中に浸透しているとは言えないと思います。

6月16日に神様にお供えして、日々の感謝をし、少し改まってお供えしたお菓子をいただきます。

私がこの言葉を知ったのも数年前です。

「嘉祥」=めでたい印 という意味もあるそうです。が、この行事のはじまりについては諸説あり、確定できていないようです。


【諸説あり】

老舗の和菓子屋さんが紹介している文書をみてもいろいろあるようです。

そのひとつに、
847年の陰暦6月16日に16個のお菓子や餅を神に供えて、その後、食することで疫病退散を祈願する「嘉定喰(かじょうぐい)」と呼ばれた行事が行われたことがはじまりという説。

また、全国和菓子協会によると、
848年(承和15年・嘉祥元年)の夏、仁明天皇がご神託に基づいて、6月16日に16の数にちなんだ菓子、餅などを神前に供えて疫病を除け、健康招福を祈誓し「嘉祥」と改元したという古礼にちなむと紹介。6月16日を「和菓子の日」としています。

*詳しくは全国和菓子協会 (wagashi.or.jp)

羊羹で有名な老舗の「とらや」さんにあるお菓子に関する資料の中に、江戸時代に将軍から大名や旗本にお菓子を配る様子を描いたものが残っているそうです。将軍が直々に渡すのですからお菓子が貴重であったことも伺えますね。

↑鹿児島のお菓子7つと三宝に嘉祥饅頭を盛ったものと季節の花

 

↑鹿児島の郷土菓子7種。三宝に盛った嘉祥饅頭を上から撮影

 

 

*実際にはフ透明フィルムを外して盛ります。

 

 

 

 

↑5色の嘉祥饅頭は、陰陽五行の思想の五常の心(仁義礼智信)(東西南北と天)の5つを指しており、神仏にお供えするにはお祝いの最高の形ともいわれます。

 


【和菓子にまつわる思い出ってありませんか?】

つい最近まで放送されていた、NHKの朝の連続ドラマ「カムカムエヴリバディ」の影響もあってか、にわかに注目を集めた“うめぇうめぇあんこ”と“回転焼?”(今川焼?大判焼?様々な名称があるようですが)私が幼い頃(昭和です)真砂には、私が覚えているだけで2軒の和菓子屋さんの店舗がありました。よね…。

店舗の名前は憶えていませんが、そのうちの1軒は、季節の和菓子のほかに、店頭で回転焼きを販売していました。

その記憶は、はっきりしています。なので、NHKの朝のドラマで出てきたシーンのいくつかに、そのお店との共通点があり、自然とその頃を思い出しながら見ていました。

深津絵里のような人ではないのですが、看板娘のお姉さんにとても可愛がってもらい、回転焼と和菓子が大好きになったきっかけでもあります。

回転焼きの型の中にシュッシュッと生地をいれるのをみるのが好きでそばを離れずにみていた記憶があります。

季節感のある和菓子がガラスケースになんでいて、桜餅・うぐいす餅・水羊羹・練きりなど小さなお菓子の中に様々に手をかけて仕上がっていく和菓子の美しさを教わったのも、このお店のご家族のおかげ様だと今更ながら感じます。


さて、今年の6月16日、あまり和菓子には馴染みがないと思われる方も、「今日は和菓子の日よ!」と、季節の和菓子でも、郷土菓子でも何か1種類でもよいので、ご家族で食べてみてはいかがですか?

ドラマの中でも言っていましたが、お菓子を食べながら怒っている顔の人はいない…。

ご家族揃ってお菓子談義をしてみる…。

なんでもないような話や時間が、ふと思い出す“家族との思い出”だったと改めて感じる日があるかもしれませんね。

今年、私は母との思い出深い“いこ餅”と、フワッフワの“ふくれ菓子”を職場に持って行ってみよう!と決めています。

 

端午の節句 令和4年5月

 5月5日は五節供のひとつ「端午の節句」。

男の子の健やかな成長と健康を願ってお祝いをする日でもあり、こどもの日でもあります。

端午の節句行事は、日本古来の自然信仰や農耕行事そして中国から伝わった陰陽五行の思想などが盛り込まれた行事です。

 

年に五回ある節句(五節句)には邪気が近づきやすいとされ、厄除けの意味もあり、さらに祓いの日でありました。

「端午」とは、「初めの午(うま)の日」という意味を持っていて、「節句」というのは季節の変わり目のこと。

午(うま)は、五(ご)とも読めることから、5月5日が「端午の節句」として奈良時代以降に定着していったといわれています。

男児の節句と考えられるようになったのは、武家社会が発展していった鎌倉時代以降であると考えられます。
*それ以前については、また別な機会に

 

「鯉のぼりについて」

最近は、童謡にでてくるような♪屋根より高い鯉のぼり~♪は見かけることが少なくなりましたね。

私にとって、象徴的なのは、子どもの頃にみた、五月の空に力強く泳ぐ大きな「こいのぼり」です。

弟が生まれた翌年、今思えば初節句だったのでしょうね。近所の方や、両親が弟の為に庭の一角に場所をつくり、深く深く土を掘っていった事と、鯉のぼりの鯉が最初2匹だったのが、母がどうしても2匹では嫌だと言っていたことをとても鮮明に覚えています。

母が親戚にでもせがんだのか、いつのまにか3匹泳いでいました。となると、私は私の分がいない、家族は4人家族なのにと、子供ながら不満に思って泣いたこともあった記憶があります。

【こいのぼりは、いつごろから?】

鯉のぼりをあげるようになったのは、江戸時代以降の風習と言われ、最初は紙に描いた鯉の絵であったようです。

それ以前は幟(のぼり)や旗指物や、五色の吹き流しなど魔除けの意味もあって、あげていました。

江戸時代、中国の“鯉が滝をのぼりきると、竜になる”という【登竜門】の故事によるものという説と言われています。

逆流の中でも立ち向かい、成し遂げる鯉の姿に男児の立身出世を願い重ねて、鯉のぼりをあげるようになったとされています。

真砂界隈でも、マンションのベランダや、軒下から「こいのぼり」をあげているのをみると、子供の成長を願う気持ちが伝わってきます。

さらに、こうやって昔ながらの風習を表現できるご家庭があることにも、ほっこりとした気持ちなります。
*鹿児島は仙厳園で今年も4月29日から5月5日まで、島津家に代々伝わる「五月幟(ごがつのぼり」をみることができると聞いています、ご確認の上、ぜひ一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

この写真には、武士の象徴として、奉書で折った兜の折紙、兜の下には、紐を結び入れています。これは「勝手兜の緒をしめよ」の意味を込めました。

そして独楽盆は、私が幼い頃に見上げていた鯉のぼりの大きな目に見立てました。

花瓶の花は菖蒲と芍薬。

菖蒲は尚武同音であることからも男子のお祝いや、厄除けの意味をもっていると考えられて伝わっていることもあります。

芍薬と対比して男女の表現にも通じます。そのほか、根が付いた蓬(よもぎ)は、根をつけることで代々の繋がり、そして清めと邪気を祓う意味も含んで盛りました。

端午の節句の盛物ひとつひとつに意味があると思うと、そのことを知る喜びと共に、先人が思いや気持ちを物に寄せて表現をしたきた文化が日本にはあるということを実感しませんか。
日本人が大切にしている「おもい」「心」という目に見えないものが、奥深く見えてくる気がするのは私だけでしょうか?

今年の端午の節句には、折紙1枚と紐1本だけでも玄関先に飾ってみるとか、菖蒲の花1本でもお部屋に飾ってみるだけでも、すっきりとした気持ちになるかもしれません。

ぜひやってみてはいかがですか?

 

ちなみにこちら2枚は昨年の盛物の写真です。

食いしん坊の私はあくまきとかしわ餅を一緒に飾り、我慢できずにその日のうちに食べてしまいました。

 

花まつり 令和4年4月

お釈迦様の誕生を祝う気持ちを

 

4月8日は「花まつり」。

言葉は聞いたことがあっても、実際に見たことがある方は少ないかもしれません。

仏教系の幼稚園を卒園した友人は、お花まつりにお釈迦様に甘茶をかけたことが印象に残っていると話してくれました。

私は、季節の行事を学ぶ上で初めて知るきっかけとなりました。

まだまだ、勉強中です。

お釈迦様が生まれたのは“ルンビニ”であったと言われており、今のネパールに近い場所だと伝えられています。

ルンビニの花園で生まれたお釈迦様は生まれてすぐに七歩、歩き、そして、天と地を指し「天上天下唯我独尊(てんじょうてんが(げ)ゆいがどくそん)」と言われたと言われています。

これは、よく聞くお話でもあるかと思います。
*天上天下唯我独尊:天の上にも天の下にも私は一人で尊いという意味。


今月は、花園で生まれたお釈迦様のお誕生を祝うイメージを表現してみました。

 

この写真をみて、真ん中にあるものは?って思われましたか?

生まれて間もないお釈迦様が天地をさした像に見立てたのが、土の中から顔をだした笋(しょう:掌にのる出たばかりの筍)です。

また「仏影蔬(ぶつえいそ)」とも呼ばれることから、お釈迦様の見立てとしました。

 

 

幾重の筍の皮は衣をつけている感じと思ってみると、着物の合わせの部分のようにみえてきませんか?

オレンジ色の金盞花(きんせんか)は仏華と言われ、平らに花開くその姿が平等を示しているとして一緒に活けています。

そら豆は、仏豆ともいうそうです。豆の先端が、空、天をさして実をつけます。天を向いている姿を表しました。

この写真を撮影したのは、去年の4月。家に咲いている満開のサツキの花をバックに、庭にテーブルを置いて花園のイメージを作り、最後に、蓮の花を紙にかたどった“散華”をちらしました。

紫のスターチス、連翹の黄色ほか陰陽五行の五常を5色の花の色に託しました。


 花咲く4月に・・・。

 

草木も芽吹き、様々な花が咲き、心も華やかになる季節。

そして学校、社会のいろんな物事が新しくスタートする時期でもありますね。

新しいことへの不安がある方もいらっしゃるかもしれませんが…。

ワクワクする気持ちが勝っている方も多いのでは?

この時期、花まつりの行事を意識するしないにかかわらず、“きれい”と思う花に足を止めて見たり、優しく新芽に触れてみたり、“いい香り”と花の香りを吸ってみるなど、自然がもたらしてくれるものに身を委ねる時をもってみてはいかがですか?

想像よりちょっぴり心が弾んでいることに気づくかもしれません。

桜徒然 令和4年3月

の季節がやってきますね。


桜始開と書いて“さくらはじめてひらく”と読みます。
1年を24等分した、二十四節気。

さらにそれを3つに分けた七十二候、そのなかで

第十一候が「桜始開」です。

桜が咲き始める3月の26日~3月30日の頃を指します。

日本人にとって花といえば“桜”
その関りは古事記の時代にまで遡ると言われ、万葉集が書かれた頃には
は神聖なものとされていたそうです。

 

名前の由来や語源について

多くの説があります。
コノハナサクヤビメが、の種をまいて花を咲かせたことから

コノハナサクヤビメのサクヤがサクラに…という説や

さくらの「さ」は稲や田んぼの神様を意味する言葉で

「くら」は神様の居場所「御座」(くら)を意味している言葉

ようするに【さくら(神の御座)】は神様がいる場所という意味と言えばわかりやすいでしょうか。

昔は田植えの時期などの開花の様子を見て決めていたともいわれ、
日本人にとって、稲(お米)との関係が深いことがわかります。

皆様にもの思い出やイメージなど、それぞれあるかと思います。

余談ですが、私がこどもの頃に思っていたのイメージは軍歌の「同期の桜」

♪貴様と俺とは同期の桜♪です。

私が通っていた。その頃の鴨池小学校の体育館には、今はもう掲示していないのですが、鴨池の市営プール近くにある「貴様と俺の碑」の写真が額縁に入れて飾ってありました。よ…ね。確実に30年以上は前の話です。

どうしても、懐メロで聞く♪同期の桜のせいで、戦争と桜が一緒になってしまって、桜をきれいと思っていても、華やかな気持ちとは違っていました。
かなり 話が脱線してしまいましたが…。

そんな私も、を調べれば調べるほど、その意識も時と共に変わっていきました。
皆様にとっても、にまつわる思い出や、エピソードがあるのではないでしょうか?

 

を表現する言葉いろいろ

初桜・桜前線・桜狩り・桜便り・桜吹雪・葉桜…などよく耳にする“さくら”とついた言葉。

そして、“花”=“桜”ということで、にまつわる美しい日本語がたくさんあります。
花あかり・花冷え・花筏・花の浮橋・・・ほかにもたくさん。それはどれもを愛でる気持ちが生んだ言葉なのだと感じます。

因みに、私が一番好きな言葉は“花時”(はなどき)という言葉です。

が美しく咲いている時期のことをいいます。

 

私たちは自然に、この“花時”の頃を待ち望んでいることに気づきませんか。
大勢の人が、いつ花が咲くか…なんて思いをはせて、今年の開花予想日は?とニュースにも…。そんなワクワクする気持ちにさせてくれるのが“桜”です。それは、日本人ならではの感情かもしれません。ここ数年思うように満開のの下、お花見ができる状況とは言えませんが、花は変わりなく咲く時を知って華麗に花を咲かせて楽しませてくれます。

今年、鹿児島の開花予想日は3月23日頃だそうです。
待ち遠しいですね…。
(追記)3月20日に鹿児島地方気象台より開花発表されました。満開が楽しみですね!

 

ひなまつり 令和4年3月

「ひなまつり」は、五節句のひとつで「上巳の節句」、「桃の節句」と呼ばれています。

旧暦の3月は丁度桃の花が咲く頃でもあり、桃の花は、邪気を祓う花ということにもよるものです。

日本の伝統行事などには、中国の陰陽五行説の考えとは深く関わりが多くあり、諸説ありますが、「ひなまつり」もそうだと思われます。

日本では平安時代にはじまりをみることができます。

中国では奇数が重なる日は、“陽”の気が強すぎるので、陽が重なり逆に忌日となり、よくない日と思われていました。

中国では、3月3日、厄や穢れを祓うために、青い草を踏み、酒を飲み交わし、川でみそぎをしていた「踏青(とうせい)」という儀式がありました。それと、人の身代わりとしての「形代(かたしろ)に厄や穢れを移して海や川に流すという日本の「流し雛」の行事が融合したと言われています。

 

“ひな人形”というと宮廷の華やかな衣装をまとった人形を思いますよね。ですが、それは、江戸時代以降といわれています。

ひな祭りの頃に、尚古集成館では、歴代のお姫様のひな人形を展示公開しており、時代の変遷をみることができます。

写真は「薩摩糸びな」と「流し雛」のイメージです。ひなあられと米を煎ったもので川の流れに見立てて、人形が流れていく様を表現したものです。

「薩摩糸びな」は、江戸時代に作られ、戦前までは、女の子が生まれた家に贈る習わしがあったそうです。「親戚や近所の方から桃の節句には贈られて、大きさも様々あったそうですが、贈られた糸びなをズラリと飾ったそうですよ」と、戦後に途絶えていた「糸びな」復活させた小澤寿美子先生の娘さんにあたる、新山禮子先生から伺いました。
*その先生の手ほどきをうけ、昨年、私が手作りした簡易なものです。

6年前奄美大島のカフェで3月だけお披露目される「雛人形」のコレクションをみたこがあります。

そこには江戸時代の立雛の絵?や折り紙?タイプのものもあったと記憶しています。

その当時、今ほどには、興味を持っていなかった為、写真も撮らずに惜しいことをしたと思いますが。

ひな人形ひとつとっても、時代の変遷があるものだと感じます。

現在、“ひな人形”として認識している、豪華な七段飾りのものなどは、江戸時代、徳川家康の孫にあたる東福門院和子が自分の娘にために作ったのが最初だと言われています。

その豪華なひな人形には、母の娘をおもう心が秘められていたようです。

そのことを知り、その立場や、胸の内を思い図ると複雑な心境になりました。

とはいえ、女の子の成長を願う心は、いつの世も変わらずにあることに、気づかされます。


お家で、何年も出していないお雛様があったら、ぜひお内裏様とお雛様だけでも飾ってみてはいかがでしょうか?


 桃の花と共に男雛と女雛

私の家のお雛様飾りは、ガラスケース入りで、親戚や友人の家に飾られていた豪華な七段飾りを羨ましく思っていました。

なんという特別でない、ある年「♪お内裏様とおひなさま~♪」を唄いながら、母と共に飾っていた時に、ガラスケースに反射していた陽の光の一瞬の情景を今でも思い出します。

昨年、何十年ぶりかにお内裏様とお雛様を出してみました。

久しぶりのお人形との対面に、母の思いが、時を超えて“津々と”伝わった気がしました。

季節の行事で親心を知るなんて思いもしませんでした…。

 

恵方巻き 令和4年2月

節分と言えば、豆まきと恵方巻きでしょうか?

節分が近くなると恵方巻きの予約受付の広告をあちこちでみかけます。

 

 

恵方巻とは、節分に、その年の良い方角とされる“恵方”を向いて食べる巻きずしのことです。

恵方巻を食べる習慣って、いつ頃はじまったのでしょうか?

実は、私が初めて恵方巻を食べた記憶というのは今から30年近く前…。

友人が当然のように

「恵方巻をお寿司屋さんに行って食べる会」開催します!とお誘いをうけたのです。

「それって何?」私の家では、その当時食べる習慣はなかったからです。

そして、2月3日、よくわからないまま、何となく縁起がよいならと参加しました。

初めてです!という私にお寿司屋の大将が食べる前に「これって重要です」と説明をしてくださった食べ方はこういう感じでした。

  • ひとりにつき1本です
    福を巻き込む巻き寿司なので包丁で切らずに、1本食べます。
  • 恵方を向いて食べます今年は●●の方角です
    その年の歳徳神がいる方角(何事も吉とされている恵方)を向いて食べます。
  • まずは願いごとをし、黙々と1本残さず食べきること
    食べ終わるまでは、おしゃべりはNG。「最後まで必ず食べきる」でした。

その日、友人5・6人で必死になって1本を食べ終わったら、思わず笑いあって、なんだかいいことありそうな気持ちになって楽しかったことを覚えています。


【恵方巻はいつからはじまったのでしょうか?】

その起源や発祥については、諸説あるようです。
中でも、大阪の船場の旦那衆が花街でやっていた遊びが少しずつ人々に浸透していったではないかという説が最もよく知られています。ですが、近畿地方の一部地域ではその前から、そういうことをやっていたという説。江戸時代から明治時代にかけて始まったという説もあり、明確ではないようです。とはいえ、当時から商売繁盛や無病息災などを祈願する風習として始まったのではないかと言われています。
時を経て、昭和7(1932)年に大阪鮓商組合によって作成されたチラシが残っています。これらは現存する恵方巻に関する史料としては最古のもので、恵方を向いて無言で1本の巻き寿司を丸かぶりすればその年は幸運になれるという内容のチラシを配布したものだそうです。
また、1973年には大阪海苔問屋協同組合が、節分の夜に家族揃って巻き寿司を…というチラシを寿司屋に海苔を納めるときに配ったそうです。全国に広がった背景には、海苔業界の「海苔祭り」も多分に影響はあったようです。
さらに1980年代以降、コンビニ業界での販売がきっかけで、それに伴った宣伝活動も活発になったと言われています。恵方巻のネーミングもセブンイレブンが最初であったといわれています。そう考えると、鹿児島にもともとあった習慣ではなかったには違いなさそうです。ですが、最近は、いろんな味のバリエーションも増えて、恵方巻を食べることも定着をしているように感じます。


【今年の吉方角は?】

「恵方」は毎年変わります。この方角は、陰陽五行説に基づいてだされており、1年の金運や福を司る歳徳神(としとくじん)という神様がいる縁起のよいその方角とされています。今年は北北西です。お間違いなく。


今や節分の風習として知られるようになった「恵方巻」について、いろいろとご紹介しました。

皆様も、福を巻き込んだ巻きずし(恵方巻)を食べて、1年の幸せや願いが叶いますように…そんな思いを重ねて丸々1本召し上がってみてはいかがでしょうか?
くれぐれも慌てずに、ゆっくりよく噛んで。
そして…笑顔はOKですが、おしゃべりはNGです。
最近はフードロス問題も関連して予約をすすめるお店が増えていますので、お気に入りの恵方巻は予約する方が良さそうです。
私は必ず食べるものだからと、事前予約済!
勝手にですが“先手必勝”という感じです。
既に私の節分を楽しむ準備は始まっています。

節分 令和4年2月

2月3日は「節分」ですね。

昔は“せちわかれ”とも呼ばれ、季節の変わり目という意味をさしています。ですから立夏、立秋、立冬それぞれの前日はすべて節分ですが…今は立春の前日だけが行事として残っていると言えます。

「鬼は外~福は内~」幼い頃に父親の声ともに声をあわせて豆まきをしていると、時間差で、隣近所からも同じように様子を感じることがありました。懐かしい昭和の頃の真砂でもよくあったお話です。今では、豆まきをした形跡さえもみることが少なくなってきました。皆様にとっての思い出の節分に思いをはせてみてはいかがですか?きっと、何となく頼もしく感じた父の背中や、無邪気に大きな声で見えない鬼を恐れていた自分…。気づけば“笑顔”になっているのではありませんか?

豆まきは、中国から伝わった「追儺(ついな)の儀式」に由来すると言われ、疫病は災害、陰気、寒気を鬼に見立てて追い払う行事で、中国では豆をまくことではなかったようですが、遣唐使から日本に伝わり、民間信仰の中で鬼に大豆をまいて退治した説話も生まれてやがて定着していったともいわれています。

そうそう 皆さんが思い描く鬼は角があって、しましまの虎模様をまとっていませんか?これは、陰陽五行の鬼門の方角にあるのが“丑寅”です。そこから牛と虎の特徴を持ったイメージが想像されたのでは?といわれています。


こちらの写真は

「鬼は外~」煎った豆で鬼を追い払った鬼が退散していく豆まき後のイメージ

 

こちらは

節分の翌日は「立春」 めでたい春がやってきます

お盆の中で表現している物と意味

「大豆」豆は“魔滅”魔を滅す意味や、「まめ(達者)」であるようにという願いも込めて。

「枡」一升枡を使い「いっしょうます」と読んで人の一生が益々よくなりますように。

「柊(ひいらぎ)」柊のとげは、鬼の目をつくと言われています。

「鰯」鰯を焼くときの煙や臭いは鬼が嫌うといわれています。

「あたり棒」鬼が持っている「こん棒」に見立て。

「鬼のお面」鬼が隠れている様子を表現し、あたり棒で追い払うそんなイメージ。

「柚子」柑橘=「吉」として新しい春への願いを表現。